2011年4月30日土曜日

インテリアブックと3月の日々

久しぶりに、本を1冊編集しました。色をテーマにしたインテリアブックです。昨年秋に、プラスワンリビングの藤岡さんから「インテリアの色をテーマにした本をつくってほしい」とのリクエストをいただいていました。内容や構成については全面的にまかせてもらえるとのことだったので、バックナンバーを読み込み、写真を集めて、ページごとにカラーコピーの切り抜きを貼りつけた、こんなラフを作成したのが3月初め。このラフの全ページ分を持って、編集部で打ち合わせをしていた日が、忘れもしない、あの3月11日だったのです。すぐそばに本棚が倒れてきたので、机の上に置いていたラフ用紙は、埃と煤で真っ黒に…。避難する時、とっさにひっつかんでバッグに入れて、みんなと階段を駆け下り、5時間かけて徒歩帰宅する間に、バッグの中でくしゃくしゃになっていました。
震災の深刻なニュースを見ながら、ラフ用紙を新しい紙で作り直し、表紙のコンテを描いていました。あの時期、集中できる作業が手元にあってよかったな、と今になって思います。余震もまだおさまらない3月下旬に、表紙撮影を決行。そんな日々に作った本なので、自分にとって、いやでも記憶に残る1冊になりそうな気がします。というか、思い入れもひとしおと言えるかもしれません。インテリアブックなので、言うまでもなく、内容はとてもハッピーで、気分が明るく前向きになるものです。でもやっぱり、今回の震災で穏やかな日々を突然に奪われた大勢の人たちのことを思うと、今までと同じような気持ちでは、インテリアの記事を書けないな、という気もしてしまいます。うまく言えないのですが、インテリアが美しいとかセンスがいいとかいうことより、日々を大事にいつくしむ暮らし方とか、心の態度みたいなもののほうが、ずっと大切だと思うから。そんな葛藤の中(?)編集執筆した1冊、「Living with COLORS お気に入りの色と暮らす」(主婦の友社刊)、5月13日発売です。近くなったらまたここでご案内しますね。

2011年4月21日木曜日

Beautiful Lakeland Revisited

まだ震災のショックから回復していない日本をしばし離れ、現地で取材をしながら、牧歌的な田園風景を眺め、ここは地震も津波も放射能汚染の心配もない、別世界だなぁ…と感じていました。ウィンダミア湖畔にある、Holbeck Ghyll(ホルベックギル)というスモールラグジュアリーホテル。2007年の秋にも一度取材で訪れたことがありました。映画「ミス・ポター」のロケに使われたことでも有名で、インテリアやスタッフのホスピタリティ、レストランの食事もとても評価が高く、地元の人々にも、大変人気のあるホテルです。ここに2度目の訪問をすることになったのは、あるランチパーティに招かれたから。当初、日程には入っていなかったのですが、湖水地方に取材に来ている日本人がいると聞いた関係者の方が、気をつかってくれたのでしょう。なぜなら、ランチパーティのタイトルは「Fundraiser Lunch for Relief Efforts in Japan」。日本の震災復興をサポートする募金を集めるチャリティランチ、だったからなのです。この話を聞いたとき、もちろん「ああ、ありがたいなぁ。出席したら周りの人々によくお礼を言わなきゃ」と思っていたのですが、前日になっていきなり「パーティの冒頭でスピーチをしてほしい」と連絡が入りました。

人前で話すなんて超苦手だし、そんなの日本でだってやったことないので一瞬うろたえましたが、ここはやっぱり、きちんと感謝の気持ちを伝えるのが当然と思い、覚悟を決めました。英語でスピーチはちょっとハードルが高すぎるので、日本語でお願いしましたが。

会場に着いてみると、湖水地方の名士の方々がすでに集まっていました。テレビ局の取材も入っていて、ウェルカムシャンパンのグラスを持ったままいきなり個室に連れて行かれ、インタビューです。後でこのニュース番組の放映を観たイギリスの友人が教えてくれたのですが、「湖水地方には日本から毎年たくさんの観光客が訪れます。大切な存在である友人に、少しでも役に立てることがあれば…。そんな我々の気持ちに、今日、1人の日本人がお礼を述べてくれました…」という導入だったそうです。

スピーチの後半で、通訳をしてくれていたイギリス人の女性が感極まって泣き出してしまい、もらい泣きしているゲストの姿も目に入ったのですが、緊張していたせいかボーッとしたまま席に戻りました。何人もの人たちが泣きながら駆け寄ってきて、「感動しました。どうか、がんばってね。私達も応援するから」と握手を求められ、そこで初めて私もちょっと泣きました。前菜をいただいたところで、次の取材のため、会場を後にしなければならなかったのですが、その後チャリティオークションが行われ(イギリスらしいですね)、何千ポンドも募金が集まったのだそう。

通訳と取材コーディネートをしてくれた、大好きなカースティさん。話していると「日本人か?」と思うほど日本語が堪能です。ご主人の出身地である愛知県にしばらく住んでいたこともあって、少し中京弁が入っているのも可愛い。「そりゃせなあかんわ」とか「これ、持っていきゃあ」とか言うんですよ(笑)。滞在中に知った話なのですが、実はイギリス湖水地方は、世界初の原発事故が起こった場所。1957年10月、湖水地方沿岸部のウィンズケールで発生した原発事故は、事故後30年を経てやっと公式に発表され、地元の人々は今もその後遺症に苦しんでいるのだそう。彼らにとって、FUKUSHIMAの出来事は、他人事ではなかったのです。この美しい田園風景に、そんなつらい過去があったなんて。
本当に長いエントリーになってしまいましたが、その時のスピーチ原稿があるので、最後にご紹介しておきます。湖水地方の人々の善意に感動するとともに、間接的にでも、ちょっとは復興の役に立ったような気がして、うれしかったです。貴重な経験でした。本当にありがとう。

今日はこのようなすばらしいランチパーティにお招きいただき、大変うれしく思います。また、この湖水地方のみなさんのあたたかな気持ちにとても感動しています。心からお礼を申し上げます。私は東京から来ましたエディターの田村敦子と申します。隣にいるのは夫であり、仕事の相棒でもあるフォトグラファーの澤崎信孝、通称ブライアンです。

今回の地震が起きたとき、私達はオフィスで仕事中でした。地震が頻繁に起こる国なので、「またいつものすぐおさまる小さい地震だろう」とたかをくくっていたのですが、背後に自分の身長と同じくらいの本棚が倒れてきたのは、生まれて初めての経験でした。首都圏の電車はすべて止まり、何が起こっているのか分からないまま、5時間の道のりを家まで歩いて帰りました。

家に帰ってみると、自分の経験したことは、そこから始まったとてつもない大きな異常事態の、ほんの一部だったことがわかりました。東京の人々が事情もわからず歩き続けていたその間に、巨大津波が東北地方を襲い、福島の原子力発電所では、異常を示すランプがともり始めていたのです。

それからの3日間、ニュースの特別番組しか映らないテレビを見続け、第二次大戦以降で最も多くの日本人が亡くなった大災害の全貌を知り、人々の穏やかな日常生活が一瞬のうちに奪われた東北地方の現状を見て、大きなショックを受けました。多くの日本人がそうだったと思うのですが、悲惨な映像を見続けて一時的に放心状態になり、ずっとこの状態が続くのではないかという錯覚に陥っていたのですね。

そこまでは涙も出なかったのですが、おそらく私を含め、多くの人々が人間の感情を取り戻したのは、そこからなんとか立ち上がろうとしている被災者の方々の姿を見たときなのです。家族も家も亡くして数日しか経っていないのに、「大丈夫。生き残ったんだからなんとかやっていける」そう静かに話して、日常生活に戻っていこうとしている姿です。そして、危険な場所で、飲まず、食わず、眠らずのまま、救いのない悲しみや恐怖と闘いながら、一心に救援活動や復旧作業に従事し続ける人々の姿です。

この人たちが立ち上がろうとしているのに、自分がいつまでもショック状態でいるわけにはいかない――。ニュース番組を消してラジオをつけると、いつも聴いている音楽が流れてきました。「みんな、それぞれの持ち場に戻れ!」と言われているようでした。

日本人はこういう非常時にどうして冷静でいられるのか?と海外のニュースで話題になっていたようですが、決して冷静なわけではないのです。心の中はまだ整理がついていないし、本当に怖くて恐ろしいのだけれど、とにかく前に進まないと始まらない、大なり小なり、みんなきっとそんな気持ちなんだと思います。自分がするべきことをする、言いかえれば11人の「使命」がないとこの長期戦は戦えない、と、無意識のうちに感じているからだと思います。

私達が当たり前だと思っていた日常生活は、実はひとつも当たり前ではありませんでした。家族が揃って無事でいることも、家があることも、ごはんが食べられることも、自由に電気が使えることも、安全な空気や水があることも。ライフスタイルについての記事や本を書くことを仕事にしていますが、この震災の前と後とでは、その重みについての考え方が、まるで変わってしまった気がしています。

イギリスをはじめ、海外からたくさんの励ましの声やあたたかな援助が寄せられていることは、日本人を元気づけるとても大きな力になっています。本当に、世界はひとつですね。

この出張に旅立つ際、成田空港の出発ロビーに、こんなポスターが貼ってありました。「気をつけていってらっしゃい。海外の友達に会って、日本人は大丈夫だと伝えてきてください。そして、大きなありがとうも」。この言葉をそのまま、ここで皆さんにお伝えしたいと思います。

素敵な会にお呼びいただきありがとうございます。皆さんにお会いできてとてもよかったです。楽しいランチタイムをお過ごしください。本当にありがとうございました。

I am so happy to be able to attend this lunch event. I am grateful for the warmth of the people of the Lake District in organizing it and would like to thank you for what you are doing. My name is Atsuko Tamura and I am a writer and editor who lives and works in Tokyo. The man standing next to me is Nobutaka Sawazaki who is a photographer and my colleague as well as my husband.

When the earthquake happened, we were both in our office in Tokyo. Japan is constantly subject to earthquakes, and we all thought that this one was one of the usual, small tremors we experience all the time. It was only when a bookcases around my height fell over behind me that I realized I was experiencing something completely new. All the trains in Tokyo stopped running, and so we all left the office to walk home without really understanding the enormity of what had happened.

When we got home, we thought that this was the end of the experience, but on switching on the television we realized we only knew a very small part of a much bigger story. During the hours that people in Tokyo spent walking home, a huge tsunami had hit the north-east coast of Japan, activating emergency signals at the Fukushima Nuclear Power Plant.

For three days after this, there was nothing on the TV except for news. We learned that more people had been killed than in any incident since the Second World War, and that the simple daily lives of people in the rural Tohoku region had been taken away from them in a matter of seconds. It was a huge shock. I believe everyone in Japan felt this shock. We sat for a while in a state of distraction watching the terrifying scenes unfold. I personally feared that we would never recover from this state.

Up until this point we didn’t shed tears. I think it is true to say for many of us that the point at which we recovered our emotions was when we started to see images of the people in the Tohoku region who were trying to put their lives back together. People who had lost family and homes were on television within a few days saying things like “It’s okay. We are still alive and somehow we will survive this”. They were quietly determined to return to their lives. At the same time, we saw images of people who had given up comfortable lives to spend time, not drinking, eating or sleeping, surrounded by the fears and dangers of the situation in order to contribute wholeheartedly to the rescue work.

Seeing these people getting on with their lives, we felt that we could not sit around in a state of shock for ever. We switched our TV off and turned the radio on instead, and began to hear familiar music. It was as if someone had said “Everyone return to where you were”. I know that the foreign press praised the Japanese people for being cool in the face of the disaster, but in fact I don’t think we were very cool at all. Inside we were in a state of turmoil, full of fears and terrors, but we realized that nothing would get done if we did not stand up and begin to move forwards. I think that everyone felt like this, to a greater or lesser extent. I think that we all realized, almost unconsciously, that in the long term, we would not be able to overcome this situation unless each of us considered what we should be doing, and indeed found our own “mission”.

All the things we used to think were “normal” have turned out not to be normal at all. Having our family all together and safe; having a home; being able to eat food; being able to turn the electricity on at will; being able to breathe clean air and drink clean water. I write articles about lifestyle for a living – this disaster has completely changed my perception of the weight and implications of what I do.

The support and warmth of people around the world in response to this crisis, including people in the UK, has been a tremendous encouragement to us in Japan. We truly feel that the world is as one. When my husband and I left Narita Airport in Tokyo to come on this visit to the UK, there was a large poster displayed in the departure lobby. This poster reads: Take care and have a good trip. When you meet your friends overseas, tell them that Japan is going to be fine. And please say a big “thank you”! I am proud to be able to stand here and give you these words today.

Thank you for inviting us to this event today. I am so glad to have met you all. I hope that you enjoy the lunch. Thank you once again.

2011年4月19日火曜日

湖水地方にて

午後5時のウィンダミア湖です。長い冬の終わりを告げる水仙の花が盛りを過ぎると、イギリス湖水地方にも本格的な春がやってきます。今回の取材はそんな美しい季節、スケッチブックを携えて絵を描きながら旅をしよう、という現地のご一行と旅程の数日をともに過ごし、たくさんの人々に会ってお話を聞いてきました。絵の指導をしてくれる素敵な先生も同行です。これはそのジェニファー先生のスケッチブック。高校時代は美術部だったので、毎日放課後にデッサンやクロッキーをしていたのを思い出しました。なぜか現地に行くと毎朝軽く平らげてしまうビッグ・ブレックファストと、素朴な焼き菓子にも久々の再会です。イギリス出張は2008年以来。
こういう時期に、日本人が本当に取材に来るのか?と思われていたようなのですが、はい、予定通り行きましたよ。仕事は仕事ですから、きっちりやらないとね。

イギリス人も日本の現在の状況についていろいろ興味があるようで、ITV(テレビの地方局)やBBCラジオのインタビューも受けました。「復興は今どんな様子ですか?」「ご自身の東京での体験は?」などなど。

取材の仕事とはまた別に、今回の出張ではちょっと感動した出来事がありました。次のエントリーでそのことを書こうと思います。

2011年4月17日日曜日

ただいまー

大変長らくご無沙汰をしてしまい、4月もはや半ば過ぎ。
先月は、5月に出るインテリアブックの編集&執筆に明け暮れ、なんとか区切りのついた今月10日から1週間、イギリス湖水地方に取材に行っていました。東京の桜が満開になる直前に出発し、散りかけの本日、戻ったところです。日本の桜の見ごろは逃してしまいましたが、湖水地方の桜もきれいでしたよ。いろいろご報告があるので、明日からまたちょくちょくエントリーを書きたいと思います。